Talking over with you, the wise.

エンジンプラス10周年を記念し、
これまでお世話になった「広告界の賢人」に弊社スタッフがお話を伺って参りました。

岡﨑 孝太郎:(おかざきこうたろう)1964年東京生まれ。東京大学経済学部卒業。88年より(株)電通に勤務。マーケティング部門、2002W杯招致委員会兼務、メディア部門を経て2001年に退社。同年に日本で初めてのアカウントプランニング専門会社SONARを創設、現在に至る。90年より、スペースシャワーTV番組審議委員。05年英クリエーティブ・エージェンシー BBH Tokyoのビジネス・ディベロップメント・ディレクター。

ワールドカップ招致や愛知万博招致。サントリーの「伊右衛門のお茶会」。キリンの「勝ちTキャンペーン」。
これら数々の伝説的な仕事を手がけてきたのは株式会社SONARの岡﨑孝太郎さん。
実は、エンジンプラスだけではなく、エンジングループとも横断的に、深く長くおつきあいがあるんです。そしてエンジンプラスはその設立の前、まだエンジングループ内で胎動していた頃から、岡﨑さんにお世話になってきました。
そんな岡﨑さんに、お会いしてもうすぐ十数年が経とうかという中、一度もこのような形でお話を聞く事がありませんでしたので、10周年記念企画の今回は是非とも、頭の中を語っていただきたくインタビューをお願いしたのです。
普段あまりメディアに登場する事の無い岡﨑さんですが、電通時代にプレゼンの神、いや悪魔だとささやかれたその真髄を少しでも皆様にお届けできればと、2月のまだ寒い頃に銀座の片隅にある小さなビルへと伺いました。
潜水艦の命ともいうべき装置である「水中音波探知」装置を社名にしたSONARはその2階。ものすごくおいしい鯛茶漬けを食べる事の出来る料理屋の上にお邪魔いたしました。
(あとで、お昼ごちそうになっちゃいました!)

新入社員に茨城県と千葉県の地図を貼り合わせるのに徹夜させたりしてた(笑)


岡﨑:
エンジンフイルムという会社に初めて行った日というのはすごく覚えてるんですよ。1991年だったんです。フルカワさん(注1)とある番組を作るのに。
EP2:
大帝国(注2)だ。
岡﨑:
そう。高輪(注3)に。
EP2:
へー。それって、岡﨑さんまだ20代ですよね?
岡﨑:
20代です。
EP1:
僕が92年入社なんですよ。大帝国を見ていたんです、普通にテレビで。
岡﨑:
91年。まだバブルが弾き切る直前の。
EP2:
そうですね、はい。
岡﨑:
ちゃんと説明をすると、TBSのCIの仕事をコンペで勝って、マーケティングセクションなのに、いわゆる媒体局もつるんでるし。で、一緒に何かやろうということで。広告の連中たちで番組を作るということを持ちかけたんですね、TBSに。そしたらそれ、やろうよって。テレビ屋と広告屋が一緒に作るという番組をやるという話を電通の買い取り枠だからどうぞって。
でこっちは、いわゆるスギヤマ(注4)組のフルカワさんを立てて、フルカワさんの好きなようにやらせようとして。

それでそういうのって実際作るのは、誰がやるんだろうと思って、ついていったんです。年の暮れだったような気がするなあ。高輪に連れて行かれて。うちの母方の実家が高輪なんですよ。エンジンフイルムがあった高輪のすぐそばなんで、懐かしかったのもあったし。
マーケには、クリエイティブ局だったら当たり前の、プロダクションが乳母のように新入社員を育てる仕組みというのがないんですよね。で、はじめて、それをこう目の当たりにして、ああ、こういうことなんだなと。何でもかんでも持つんだなと。すべて。懐広いし。で、その代り仕事が来るという、そういう仕組みになってんだというのを見て。
EP2:
ふんふん。
岡﨑:
それでエンジンさんがフルカワさんを育てるというか、もう丁寧にいろいろやっていく様子とか、そういうの見ててね、すげえなって。その直後ぐらいに、コニシさん(注5)とかと会っていくでしょ。
EP1:
そうですね。ただコニシは結構そこから動きが早いんですよね。トントンと上がっちゃったんで。そのあと今のスケールを始めました。
岡﨑:
そうか。でも俺、コニシさんがさ、高輪の事務所にエンジンのデスクがあるのを覚えてる。そのときに初めて会ってる。だからスケールの立ち上げも知ってるし。
EP1:
たぶん、僕が入る、1年前かな。僕入社試験受けてるときはまだコニシはデスクあったんですよ。だけど、入ったらなくなってたんで。
EP2:
僕はそのスケールが本格的に立ちあがるときに合流した。
岡﨑:
ああ、そうだね。
EP2:
はい。最初の岡﨑さんとの出会いは、94年かな。それこそJAWOCのチューリッヒに出すインスペクション(FIFAへのプレゼン資料)を作ってて、それをなんとかしろと言われて。そこで僕は初めて会いました。
岡﨑:
インスペクションやったのは…。決定95年でしょ?
EP2:
はい。
岡﨑:
あの、コニシさんの結婚96年でしょ?(笑)
EP2:
そうでした。

岡崎さんが着ているのは、京都は祇園で作った半纏。渋い市松模様で、裏地には大蛸が描かれている。もちろん誂えものなので、世界にこれ一点。インタビュー(インタビュー後半にでてくる)祇園とのご縁がきっかけですとさらり。

岡﨑:
その大帝国劇場をやってるときに、ともかく広告のプロダクションの人というのは、ちゃんとクリエイティブディレクターとか若いADとかプランナーとかをあやしながら育てていくんだなあというのを間近に見たんですね。
そのときにね、その番組はテレビ屋と広告屋が一緒に番組を作るんだけど、広告屋がテレビの番組関係を作ってテレビ屋がコマーシャルを作るという、そういうクロスになってて。「純白の家」の制作中、それをサブで見てたときに、エンジンの方が、今度RAI(イタリアの国営放送)と組むんですと言うんですよね。それでなんか番組の買い付けやったりとかっていうのをやるって言い出してて。
日本だと広告とテレビと映画って全然違うじゃないですか。業界が。それをこう刺してるということってやろうとしてるんだなと思って。随分進んでるんだなと。要するに広告だけ作ってるんじゃないだなというのをちょっと思って。他にもまだスプーンとか、いろいろ広告する会社があったりしたけど、エンジングループってそういうイノベーションとか、ちょっと訳わかんないことをやるときに頼りになるという印象がまずそのときに植え付けられた。そこから途中でもちろんヤスダさん(注6)に会わせてもらい。
EP2:
はい。
岡﨑:
それからダンさん(注7)に会わせてもらって、これがいわゆる電通映画社から来てるという、電通の本流の、要するにサポート会社ということなんだなって、聞いたり見たりしてたんですよ。いい感じだなあって。アラーキーとかの世代の電通映画社じゃないですか。
EP2:
ですね、はい。
岡﨑:
そんな中で、コニシさんがサッカーがちょっと詳しかったし好きそうだったというふうなことと、あとヤスダさんがワールドカップが気になってたというのがおありで、誘ったんです。どんな仕事になるかわかんないけど「やる」って言っていただいのがそのワールドカップ招致の仕事だったんですね。これがこんなワールドカップのオーソリティの会社になろうとはという…
EP2:
ほんと、そうですね。
岡﨑:
その頃から、何と言いますか、今までもそうですけど、いい意味でガキ大将にしてくれる優しさを感じますよね。しかも安心感というか。
EP2:
あの当時というと、マーケですか?
岡﨑:
マーケからメディアに移ったんです。98年にメディア部門もメディアコンテンツ統括に移ったんです。最後はテレビ局の役員の下に入ったんですね。
EP2:
そうなんですか。
岡﨑:
それなんだけども、セガのプレゼンのときとかも、メディアセクションにいるのにそういうプレゼンに出てて、他の者と一緒にやってた。いやー、思い出すと、だから有り得ない仕事というか。
今なんかね、たとえばXXXXX社の仕事、明日…明後日かな、XXXXXに関する調査結果プレゼンするんだけど、メインに使う道具はグーグルアースなんですよ。
でもその招致のときなんかはそんなのないから。90年代のあの真ん中は。新入社員に茨城県と千葉県の地図を貼り合わせるのに徹夜させたりしてた(笑)。
縮尺が違う。鹿島はホテルがない。千葉がスタジアムがないみたいで、じゃあ組み合わせればいいじゃないかって。そんな手作業だったり。
EP2:
(笑)
岡﨑:
脱線した。ともかく印象としては、エンジングループはものすごく頼って信頼感・安心感があることと、それなんだけども、保守じゃないところというか。それが大好きなんです、そういうところが。